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2001年、近又は『国の登録有形文化財』に登録されました。ご先祖様が大切に残してくれたことに感謝しております。
その昔、私の幼い頃は近又の周りにはいくつもの立派な町屋が存在しておりました。そんな中では、近又は少しも大きな存在ではありませんでしたが、私にとっては大切な存在でした。 そして、町屋が一つずつ消えていきました。ビルになっていったのです。
私の父は近又の町屋が好きでした。残すとか残さないとかいう以前の問題で、守ることしか考えていませんでした。今、私は父と同じことを考えています。
この明治の典型的な京の町屋造りの中で京料理をお作りし、いつまでも変わりなく、今までどおりに安心してお客さまに食事をしていただくこと、これが近又のモットーです。
最近「食育」という言葉をよく聞くようになりました。私が考える食育とは、日本料理でのおもてなしのために、動植物の命をいただいている、それを感謝して食事をするということです。例えば、車エビやアユを生きたまま調理することがあります。大根や人参も、旬という最もおいしいときに食べます。すなわち、料理のために命をいただいているということです。
食は気持ちの問題、おいしければいいというものではありません。おいしさの背景に何があるのか。野菜をつくる人、魚をとる人、運ぶ人、売る人、料理する人、さまざまな人の手を経て、はじめて食することができるのです。そういうことに感謝すれば、自然と好き嫌いはなくなり、食べ残しもなくなり、マナーも向上すると思います。
京都の小学校で食育の講義をすることがあります。子どもたちの目の前で大根を桂剥きにしてけんをつくります。昆布と鰹でとっただしで豆や野菜を煮ます。すると、野菜が嫌いな子でも食べるんです。料理は味覚だけではなく、見る、聞く、臭うなど人間の五感すべてに訴えます。家庭でも、だしをとることから食事をはじめみてください。新しい感動が生まれてきます。
今回は子どもたちが学校で学んだ食育授業を家庭に持ち帰り、本物の食を通して家族が集まり食事を作り食卓を囲むことの大切さを話してきました。
家族皆が集まることの出来る日を作り、献立を考え、役割を決めて料理を作る。食卓を囲み家族皆が目を見て話す。
社会問題となっているパソコンや携帯からの自己主張。
これは本来の人間の姿ではないのではないか。
子どもが相手の目を見て話すことに抵抗なくできる習慣をつける。
そうすることが本来の心温まる人間形成につながるのではないか。
本物の食を通しての、食育の最終目的はそこにあるのではと話してきました。
“京野菜”、この野菜は本当に京都の野菜です。
いま京野菜は、京都以外の土地でもつくられるようになりました。例えば、東京で売っているみず菜は80%が茨城県産だと聞いています。その味は京都でつくられたものと微妙に違います。やはり、風土が違うと野菜は同じ味にはならないのです。となれば、京野菜は京都でつくらなければならない、それが本ものです。
昼間はカーッと暑く、夜は寝苦しい蒸し暑さが特徴の夏と、底冷えのする冬。盆地独特の気候であるこの激しい温度差が、野菜たちにはいいようです。
そして、京都には水瓶があるそうです。北山に降り積もった雪が解け、地下水として地中にたまるのです。鴨川、桂川、宇治川、木津川。京都は美しい川にも囲まれています。京野菜を育てるこの美しい水を、大切にしていかなければなりません。
恵まれた京都の気候と水で、農家の方に大切に育てていただいた京野菜。この京野菜を私は大切に調理し、また調理させていただいていることを改めて幸せに思います。
京都の料理と京野菜は深い関係にあります。素朴な京野菜があってこそ、京都で日本料理を食べていただく意義があります。これまでも料理教室や小学校で料理について伝えてきました。そうした日常の活動が評価され、このほど「京野菜マイスター」に認定していただきました。京野菜マイスターは、調理に20年以上関わっていることなどを条件として選ばれます。生産・流通・料理の各分野から、まだ15名程度しか認定されていません(2008年5月現在)。料理の分野では6名です。今後は、京野菜の魅力とその扱い方、歴史などを広く伝え、京野菜の振興と京野菜に関わる食文化の普及に努力するつもりです。